yukiotalkの日記

出張・旅行が多かったので、国内外を中心に旅行の体験を中心に書きたいと思います。

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上品なステーキ

ヒューストンはテキサス州である。テキサス州は牛の生産と頭数が全米最大である。市内にも各種ステーキハウスはあるが、基本的には車でいくことになる。

 

目的地が分かっていればタクシーでも可能であるが、テキサスの英語は訛りがある為必ずしも会話で通じるかは不確かである。住所、名前を書いたメモを渡すのが無難である。勿論有名なレストランであれば問題ありません。

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国際感覚あるの?

昨日、日本とメキシコの野球の国際試合があったが、テレビでみていると試合開始前に両国の国歌が演奏された。この時であるが、日本の国歌(君が代は)演奏された後、メキシコの国歌に代わった時、テレビはコマーシャルに変わってしまった。長いコマーシャルである。終了後、野球中継にもどったとき、勿論メキシコ国歌は終了し、試合中継となった。これが日本人の国際感覚と思った。野球であることから子供達も多く見ていたはずである。もし、相手国の人が見ていたら憤慨するであろう。テレビコマーシャルは秒幾らの時代であることは知っているが、それなら日本の国歌のときからコマーシャルに切り替えた方が公平である。

ヒューストン

                                           

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 サンアントニオの国際会議の前に石油化学コンサルタント会社によるセミナーが開催され、その参加の為、ヒューストンを訪問していた。

ヒューストンは人口250万程度でニュヨーク、ロスアンゼルス、シカゴに次ぐ全米第四位の都市である。テキサス州の州都であるがアラスカ州に次ぐ全米第二位の面積となっている。

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サンアントニオ

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中国に次いで訪問したのが米国である。左の写真はサンアントニオの運河である。サンアントニオは映画「アラモの砦」の舞台になったところであるが、1836年,メキシコからのテキサス独立を志した180余名が,約5000人のメキシコ軍を相手に戦い,全員玉砕したアラモ砦の所在地として知られている。

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中国で一番パンダが見れる場所

  成都大熊猫 (パンダ)繁育研究基地

                                      中国全土で2千頭にもなっていないパンダは「国際絶滅動植物種f:id:yukiotalk:20190307115041p:plain

国際貿易公約」に「絶滅種」とされ、中国の「野生動物法」にも「特級保護動物」として保護されているのです。このような高い研究価値と観賞価値を持つパンダは中国で「国宝」とされている。へ行ったことがあるパンダは世界で高い知名度と影響力があります。

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中国旅行は言語ができなければ難しい。

その後も中国は20-30回は行ったと思うが、私の仕事は途中から非営業部署に移行したことから、中国との取引をメインにしている部署の担当に比べると遥かに少ない回数である。

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初めての海外は中国

初めての海外訪問は中国、天津でした。中国語は全くできず、全て駐在員が通訳等をビジネス交渉を行うかたちです。1980年頃でまだ事前にビザをとって渡航する時代であった。実は海外渡航そのものが初めてであり、それが中国ということである。

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自己紹介:サラリーマン47年

初めまして、「ゆきお」です。ブログは2回目ですが、1回目は旅を中心に書きましたが、仕事もしており、あまり時間をさくことができず、途中ギブアップしてしまいました。仕事は昨年リタイアしました。元の会社は商社ですが、47年間働き続けてきました。やはり、47年という歳月の間には様々なことがありました。最大の変事は合併・消滅であったであったであろう。実質倒産に至るまでの経緯は様々なことがあったが、これは、触れると限がなくなるので、これ以上触れることは避けることに致します。

仕事は化学品分野、主に石油化学を中心に20年間、その後IT・情報関係を27年間担当してきました。化学品に配属されたのは大学の出身が理学部化学科であっただけのことである。

しかし昔の商社は一般的には経済、商学部、法学部等文系の出身が圧倒的に多く、日本で石油化学が発展し出したころに、各種石油化学製品、プラスチック等が生産され、市場の拡大と共に、商社の組織の中にもそれを扱う部署ができたのが始まりである。化学品そのもは原材料であり、製品としての形はなく、粒状か液体が一般的である。その為、製品をイメージするのも難しい。製品化すると、化学品分野から離れ、物産、医薬、繊維、建築、電気・電子、機械等各産業が取り扱うことになる。

理学部・化学科出身であることが、仕事に役立ったのは、商品名を理解したり、覚えることに関しては文系出身よりも遥かに速かったことぐらいであろう。大学での知識がそのままビジネスの役にたつことはなかったように思う

IT・情報に関しては子供のころから、ラジオ(当時は鉱石ラジオがはじまり)を作ったり、その後真空管ラジオ、ステレオ作成など、コンピュータにおいては、BASIC、DOS版のころから触りはじめたこともあり、抵抗なく取り組むことができたのがその後の仕事面においても大きな影響を与えたと思う。

さて、ブログですが、初めからテーマをきめると当然話題が限定されるので、これまでの体験を通じて、感じた事、いろいろ勉強になったこと、サラリーマン生活等、おもいつくままの意見、考えを述べてゆくことにしたいと思います。できれば読者の参考になればと考えながら。